新春の駅伝3日間が終了しました。
ニューイヤー駅伝も箱根駅伝も白熱し、何より全選手がしっかり走り終わることができたことにホッとしましたし、元気をもらいました。
一方、テレビで観戦していた方は『ん?』と思ったかと思いますが、沿道の観客がそこそこいたことが話題となっています。
今回、両方の駅伝とも、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を防ぐために、『沿道での応援は控えるように』という告知をしていました。
私は群馬に住んでいるので、毎年ニューイヤー駅伝の観戦に行っているのですが、今年は自宅のテレビ前で応援しました。
コース沿いにも、このような立て看板が立っていて、周知されていました。
ただ、その宣伝の仕方が十分だったかというと、やはりそうでなかったんですよね
『沿道に行っても、声を出して応援しなければいいと思っていた』
という人が身近にいました。
しっかりしている方で、是が非でも駅伝を見たいというわけではなかったそうなのですが、素でそう思っていたそうなんです。
観戦という定義って人それぞれなんですよね。
なので、字面で現地に入ってもいいと捉えてしまった人って、少なくないのかな、と思ったりもします。
で、冷静に考えてみると、私もそれはあまり笑えないなあと思いました。
なんでかというと、この沿道の状況って、雑に言うと『収容率50%のライブ』と似たような状態なんです。
私たちは声を出さないし、激しく動いたりもできない。
そこに座っているという条件の下、ライブに参加しているわけで。
ただ、そうなった場合に『2メートルのソーシャルディスタンスってどうなったの?』という話が出てきます。
そうなんです。
実際、我々の2メートル以内には、他のお客さんがいて、その間にアクリル板もない。
それって、間隔や立ち座りは違えど、実は『声を出さない沿道』ととても近いんです。
これは、ライブなどの興行についてはガイドラインが示されていて、この状況下ならこうやってくださいという決まりがあるから催行できるわけで。
駅伝にも、競技としてのガイドラインはそれぞれ定められているようですが、「観戦についてのガイドライン」というのはないみたいなんです。
もしかすると、「駅伝の沿道観戦のガイドライン」みたいなものが作られていたとすると、それを守って観戦するのはOK、ということになっていたかもしれないです。
ルール的にOKか否かって部分は、その違いなんです。
「コロナ対策のガイドライン」が、いかに科学的データに基づかないあやふやなものかが浮き彫りになってしまいますが、哀しいかな今はそういう状態です。
とはいえ、今はコロナに関する情報が少なすぎますし、国の判断も拙速ではっきりしません。
そのあたりがしっかりしていたら、もう少し意識だったり、マニュアル的な対応ができたりと、もう少しコロナに適応できている社会になっていたような気もしますが・・・考えても駄目かな。
今は、できることを積み重ねて、日々を過ごすしかないんだろうなと思います。
100%は無理だしそんなことしたら精神に支障をきたしてしまいますので、むかし7割おじさんとか8割おじさんとかいましたから(全然違うけど)、70%とか80%くらいの次第点をやっていきましょう。
そんな話でした。
少し小噺になりますが、ニューイヤー駅伝では、住宅地が立ち並ぶコースのところで
自分の自宅の庭のギリギリ敷地内(つまり沿道ではない)に並び、無言で拍手して観戦する』
という観客がテレビに映っていました。
注意できるかできないかはあなた次第です。
言葉って便利ですね・・・