つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

「続ける」ことの向き不向きと強さと本質と

パシッと決まるキャッチコピーが見当たらなかったので、こんな仰々しいタイトルになってしまいましたけども。
今日は「続ける」「継続する」ということについて書いてみたいと思います。

 

最近、『続けることはある種の才能』という言い回しをよく見かけるようになりました。
これ、確かにそうだと思うのですが、大事な要素が省かれているような気がして。
単純に
「あの人は続ける才能があるから」
「自分には続ける才能はないや・・・」
という0か100かではなく、人それぞれ、続けることに向いているジャンルと、向いていないジャンルがあるんだと思うんですよね。

たとえば、僭越ながら私の例を出すと、文章を書くのは好きですし、書くことにエネルギーはそんなに使わないので、こうやってほぼ毎日文章を書くことができます。
Twitterなんかでもほぼ毎日何かしらを呟いていたりするのも同様です。

しかし、それに近いであろう「毎週何かの話題を見つけてラジオ番組にメールを投げる」というのは面倒くささが出てしまってできなかったりする。
更に、『毎日一回だけ応援メッセージを送れる』という企画ヶ合ったりするのですが、それも途中から何を送っていいのか分からなくなって遅れなくなってしまったりする。

これらって、まとめれば『定期的に文を書く』という話なんですけど、少しテーマやスキームが違うだけで、これだけ習慣としてできたり、できなかったりするんですね。
続ける才能があると思われている人は、自分が得意なジャンルやスキームで続けられているのであって、きっと続けられないものも何かあるはずなんです。
それを才能と呼ぶか、向き不向きと呼ぶかは好みですが、続ける才能って、そういうことなんだろうなと思います。

 

ことわざにもあるように、『継続は力なり』というのは本当だなあと感じます。
瞬間的な最大風速にはならないけど、長年積み重ねて初めて効果を発揮する。
歳を食ったからか、年々強くそう感じるようになってきました。

というのも、継続って目に見える実績なんですよ。
そして、それは瞬発力や、一瞬のラッキーパンチでは覆せないんです。
それを超えるには、時間という茫漠な要素が付いて回る。
時間は軽々しく覆せないうえに、同じように走っているのであったとしたら、永遠に追いつきません。

時間を敵に回さないといけなくなる「継続」というものは、強いです。

 

それだけ強い「続ける」「継続」ということ。
続けることは、それだけで実績になります。
ただ、本当に大事なのはその中身なんだろうなとも思うんですね。

続けることで、何かが研ぎ澄まされたり、スキルを積むことができたのであれば、それは意味があったんだなあと思います。
ただ、「続ける」ということ自体にとらわれて、本当の目的であった何かを成し遂げるだとか、何かを有名にするだとか、そういった大事なものが見落とされてしまい、自分自身が例えば10年間何かをやったという実績を残したい!みたいなことが目的になってしまっていたりすることもあって。
それはそれでいいのかもしれないですけれども、何か変わっちゃってるな、と感じたりもするんですよね。

もし、何かを長年するというのを目的にしているのなら、継続するというのは一つの手段としてありなんだろうと思います。
私も、続けることにいろんな意味を見出してきましたし、現在も続けることに意味を持っていることがいくつかあったりする。
それはそれぞれで判断していますけども。
ただ、そこに無理があるのだとすれば。
無理して続ける意味はないし、時間の使い方的にも勿体ないなと思ったりもします。

 

  最終的に、仰々しい内容になってしまいました。
単純なことをこねくり回して、さも"大ごと"のように、先生の説教(正しくは「説法」らしい)みたいな感じにまとめるのは、大昔から言われている私の得意技ですので(※)、「まーたつるまうがなんか言ってるよ」程度に割り引いて聞いていただければと思います。

※2014年の時点で『「珍しくまともなこと言ってるな」と思ったら、いつものようにわけの分からない話をこねくり回していて安心しました』という旨のありがたい(?)感想をいただいたことがあります

 

まあ、ほぼほぼ自問自答みたいな感じで書いてるんですけどね。
そんなことでも、せめて誰かの一つの気付きになりましたら幸いです。