白河の 清きに魚の すみかねて
もとのにごりの 田沼恋しき
中学くらいの歴史でも習う、江戸時代に読まれたという短歌です。
覚えている人も多いかもしれません。
白河というのは、白河藩出身の松平定信のこと。
「寛政の改革」という政治を行ったことで有名です。
田沼というのは、その前に老中だった田沼意次のことで。
いわゆる”わいろ”政治を行ったことでも知られています。
冒頭の句は、そのふたりの政治のやり方を比較したもので。
意味としては、
『田沼の時代は、わいろ政治で濁った時代ではあったけど、
寛政の改革を行った松平定信はきっちりしすぎて、逆に生きづらさがあるよね』
という風に読める、と言われています。
似たような話は、仏教とかでもあって。
仏教では、娑婆・・・つまり今私たちが棲んでいる世界ですね、は汚れた世界だと言われていたりもします。
仏教では蓮の花が美しいとされますが、これは蓮が泥の中から咲くからだと言われていて、これが『現世は泥にまみれた世界だ』という比喩にもなっているんだそうです。
その中で咲くからこそ蓮の花は美しい、と。
正しいものは正しいし、清いものはそれだけで強い。
ただ、そこに少し、息苦しさを感じてしまうことは、あります。
少なくとも、私は。
弱い人間だからかも、しれないんですけどね。
だから、せめて、法律とかで縛られない範囲であれば。
それが直接、何かに多大な影響を与えないのであれば。
自由に意見を言うことくらいは、したい。
だからこその、『自由記入欄』。
ブログも、TwitterみたいなSNSも。
色々な使われ方はしますが、”テキストを書く”ことができるのは、機能としては間違いないはずなので。
加減はあるかとは思いますが、思ったことを表に出した方がいいな、と思ったときは、引き続き書いていきたいと思います。