つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

『日記をずっとつけている』の考え方

今日はだらだらと。

  

とある人が、「日記を20年以上ずっとつけている」という話をしていました。
ただ、これには、『毎日書いていたわけじゃなく、毎日書く時期もあれば、1か月空いてしまうこともあって、なんだかんだ続いている』というオチがあって。

それは、はたして「ずっとつけている」に当たるのかどうか。
見方はそれぞれでしょうが、「ずっとしていること」という認識でいいんじゃないかと、私は思ったんですね。

 

『毎日書いている』なら、書かない時期があることは確かに嘘になる。
ただ、ずっとだから”毎日”とは一言も言っていない。

長年の間に、体調を崩したり、出張で家を空けたりして、書けないことって、きっとあるじゃないですか。その一日が抜けたことって、そんなに大きなことなんだろうかと。

たぶん、些細なことなんですよね。
その長期の間、『日記を書いている』感覚が続いていることこそが大事なんだと思います。

 


「ずっと」という言葉を、どうとるかという話。
私自身も、あらゆることで悩みます。
ただ、人間って、バイオリズムがあるじゃないですか、ワンピースの歌にも出てきますけど。
気分が上を向いたり下を向いたり。
常に動き続けていて、きっと一定ではない。

 

この日記の話を聞いて、完璧じゃなくていいなと思いました。
この話も前から何度か書いていますけど、やっぱり今って、完璧とか、無難とか、普通とかが尚更求められるんですよ。
社会でも、プライベートでも。
ただ、そうなったら強いのは、先行者であり、ルールを作る側なんですよね。

だから、100%じゃなくていい。
90とかでいい。
70だっていい。

フリーダムでいいんです。
何事にも完璧を求めてしまったら、きっと楽しくない。

そんなことを、この話を聞いて思いました。