つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

応えられるだろうか~応援~

昨日書ききれなかったミリラジの話の続き、みたいな感じですが、この記事だけ読んでもらっても全然大丈夫な内容になっています。

tsurumauy.hatenablog.com

 

あれから、今週のミリラジを何周もしました。
昨日の文章だけだと浅すぎたな・・・という反省もあって、改めて感じた部分を文字で残しておきたいと思います。
昨日は慌てて書いた部分もありましたので。

 

昨日のミリラジには、ファンにとっては嬉しいというか、おこがましいと思ってしまうほどのお話が詰まっていました。

ラジオは主にあつひめ(ロコ役 中村温姫(あつき)さん)とぴょんさん(春日未来役 山崎はるかさん)の二人のやりとりを軸に進んでいくのですが、そこで明かされていくのは『これ以上あるの?』と思ってしまうほどの、彼女たちの演者としての配慮でした。

例えば、オリメン(オリジナルメンバー=その曲が音源リリースされたときに歌っているメンバー)がいる曲を、オリメンではない自分たちが歌うことになったとき。
自分たちもオタクでその気持ちはよくわかるから、「『オリメンがいるのに何でオリメンじゃないキャストが歌うんだ』という思いはよくわかるし、自分たちも言っているかもしれない」という心境を語ってくれて。
その気持ちがわかるからこそ、ファンがそれを見たときにどうすれば不満に思わないかを、悩んで、悩んで、いろいろ工夫をしながら、自分たちらしくステージで表現しきった。

ずっと客席に背中を向けて歌うことになっていた場面で、「私たちずっと山を向いているから、私たちメインステージ側のPさん達と目が合ってない」とリハーサルの時点で気づいて、当日『変えよう』と言って、自分たちの姿が見えるようにした。
そして、スタッフさんも、ダンサーの皆さんも対応してくれた。

 

彼女たちが話したのは、きっとほんの一部。
話さなかったところでも、ファンはそんな一幕を何度も、何度も目にしていました。

声を出すというレスポンスができないファンに対して、いつもはファンが返してくれるコールを叫んだキャスト。

マイクなしの肉声で、割れんばかりの大声で感謝の思いを叫んだキャスト。

花道脇に自身が演じるキャラが担当のプロデューサーを見つけて、爆レスを返すキャスト。

そして、そんなファンがいることを別のキャストにさりげなく教えるキャスト。

 お客さんの顔を見たいと照明を明るくさせるキャスト。

カメラにも投げキッスを返すキャスト。

 

これらは、無かったらライブが成立しないかと言ったら、たぶんするとは思うんですよ。
やることで、自分にダメージが来るかもしれないものもいくつかあって。
でも、それをやってくれるんですよね、演者さんは。
それは、本当に、『真心』なんだと思うのです。

ちらっと昨日も、口走ったワードですけど。まごころ。

 

そして、そんなやりとりが、配慮が生まれたのは、きっとそのコンテンツが、長い年月をかけて、演者と、ファンの間に信頼関係を築き上げてきたからなのだと思います。

 

私たちファンは、いつも、応援すると言いながら、それ以上のものをもらってしまっています。
応(こた)えて 援(たす)ける。
これが、”応援”なんですよね。

こたえるのも、こたえる人と求める人がいて成り立つ。
たすけるのも、たすける人とたすけられる人がいて成り立つ。
応援って、ひとりでは、できないんです。
だから、『応援していたら自分が応援されていた』なんてことが起こりうる。

 

これだけ、大きなものをもらって。
これだけ、温かいものをもらって。

私は、それに応えられるだろうか。

そんな不安が、少し頭をもたげているのも、正直なところです。

もし、それに答えがあるとすれば、たぶんこれしかありません。
『自分が”こたえられる”範囲で、”たすけられる”範囲で、できることをやればいい』

 

応援の方法に、正解はありません。
”正義の反対はまた別の正義”みたいな感じで、何が王道というものもない。
だから、もらった思いをまっすぐに受け止めて、自分の中で噛み砕いて。
それを素直に行動すればいいんだと思います。

それがうがった行動に繋がってしまうのであれば、そうなりそうなのであれば、そのリスクを考えて、心の中に留めたっていい。
心の中にある『この作品好きだなあ』とか、『この役をやっているときのこの人、やっぱり輝いているよなあ』とか、そんな本当の気持ちはあるはず。
それを大事にしておくこと。
邪険に扱わないこと。

それが、応援の第一歩なのではないか。
そう感じました。

 

すさまじい勢いで物事が移り変わってしまう、世の中だからこそ。
『大事にしたいことを、ちゃんと大事にする』ことが、大切なんだと思います。