つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

天ちゃんの発信スタンスについて、「フリイジア」のリリイベを通して個人的に考えたこと

昨日、雨宮天さんの新譜「フリイジア」のオンラインリリースイベントがありました。
今回は珍しくリアタイで参加できました。

 終始、快調にトークを走らせる雨宮さん。
「こういう喋りを聞きたかったんだよなあ」というのが、偽らざる本音。
てく天で見たかったのはこういう内容だったんだよなあと、少しこぼしてしまったりも。

ただ、今回の「フリイジア」のリリースイベントを見て、そうならなかった理由が、少しわかったような気がしました。


これから書くのは個人的に思った感想で、提言でも何でもないので、そこはご承知おきをば。

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一般的に、演者さんが最も素をさらけ出せるのは、一人喋りのラジオだといわれています。
番組や作品が絡めばそのテーマを考えなければなりませんし、ユニット活動も同じ。
一人喋りであっても、スポンサーがついているなどで完全フリーでなかったりはしますが、それでも、他の人をそこまで気にしなくてよかったりと、喋りやすくはあると思います。

ただ、リリースイベントの中で、天ちゃんは、
「ラジオとかでも、自分をさらけ出したり、意見を主張したりするのはおこがましい」
というニュアンスのことを、言っていたんですよね。
(今回のリリースイベントのように見る人が限られた)こういう場だから本音で話せる」
とも。
その話を聞いて、天ちゃんが”自分が発信することをどのくらいの位置に定めているか”が、なんとなくわかりました。


天ちゃんって、見ている位置によって、捉え方がかなり変わると思うんですよ。
まずは、クールビューティーでストイックなイメージ。
これは雨宮天その人のパブリックイメージなのだと思います。

次に、徐々に顕現してきた特徴としての”奔放さ”。
アグレッシブな属性を発揮したり、『赤ちゃん27歳』としてふるまったり。
「クールだと思ったらアクア様だった」
と言われる、”もう一つのパブリックイメージ”になりつつあるのかなと思います。 

ただ、さらに一歩入ってみると、天ちゃんの印象ってガラッと変わって。
自分が置かれている状況とか、立場とかを考えて、そのロールプレイに徹したり、バランスをとったりする一面があったりするんですよね。
そこまで深い関係性でない人と関わるときは、必ず2歩くらい引いて、自分と相手の関係性をしっかり探っていく。
誰かに感謝を伝えるときも、ファンに対してではなく、まずスタッフさんや裏方さんについて感謝を言うことが実は多かったりする。
他の人とは比べられませんけど、周りにも気を使っているし、自分の見え方も気にしていて、場をできるだけ乱さないようにする。
チームとして空気感を作り上げる、雨宮天はそれを構成する一つの素材である、という意識に重きを置いているのかな、と思うことが多々あります。 

最後に、『確実に自分の味方』の前でしか見せないつもりの、本音に近い姿。
これも、本当の心の内は計り知れないですけど、ファンとしては本音の姿だと思っています。


もちろん、すべてがドンピシャで当てはまるわけではないですけれども。
「第1回あおしゃべり」のときは、不特定多数に見せる感覚はそこまでなかったのかなと、思ったりします。
だから、距離の近いトークが割と多くて。
「第2回目」も、基本的には同じでしたけれども、ほんの少しだけよそ行き感を、勘違い程度に感じて。
それは、もしかすると、今後のてく天のことが頭にあったのかな、と勝手に思っています。

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『ファンの人と遊べる場を』というテーマで始まったてく天も、テレビで放映される企画番組(某「やばい〇〇」的な内容)に近く、ファンとの双方向性は今のところあまりないのが実際かなと思います。
ただ、そこから入った新規の方もいますし、海外の方にはかなり好評だったりして、当初のファンの想定とは違えど、新規ファン獲得の新たな手段にはなっているんですよね。

近い距離でのぶっちゃけ話を聞きたいとか、トークの生配信をやってくれるのかなと、”距離感の近いファンサ”のようなものが期待されていたてく天ですが。
「あおしゃべり」の括りは別としても、てく天はそれを求める場かというと、今は少し違うのかもしれないな、と納得しました。
そのテーマでやっても、それは”エンターテイナーの雨宮さん”のトークになる気がして。

 

ファンも多いし、色々なことを言われることも多かった雨宮さんだからこそ、考えるところも多いんだろうなと思います。
発信の方法や場所はかなり気を使っているなと改めて感じましたし、本音で喋ってくれる場は、今の感じでいいのかな、とも思いました。