ふと思ったんですけど、公人もそうですけど、芸能人も、”出る杭”なんだよなあと。
もちろん、身近なところだと声優さんもここに含まれたりして。
自分の名前と顔をある程度公開して、自分の持つ技能で活動していく。
それは時としてプラスに働くこともあるけれど、もちろんマイナスに働くこともあって。
称賛されることもあれば、否定されることもある。
もちろん、何かをやった実績や過程について批評されるのは、それは誰もがそうです。
ただ、それと個人が結び付くとは、必ずしも言えなかったりもする。
特に芸能人は、ある意味で「自分のことを知っている人はみんな自分のことが好き」くらいの前提でやっていかないと、なかなかつらい部分があるんじゃないかと思います。
ただ、我が身を振り返って、世界中・・・だと範囲が広すぎるので、自分と同じ言語圏とか文化圏で、自分の人を好きな人がどれだけいるかと考えてみると。
当たり前ですが、全然いないんですよね。
有名人と呼ばれる人も、いくら好感度が高かったとしても、その人のことを好きだという人は、きっとその文化圏では1%もいないはず。
そうなると、その人がやっている具体的なことなんて、理解してくれる人が更に少ないから、何かあった時に否定的な立場になる人って、99%くらいになってしまうんですよね。
実績と人格の関係というのも、なかなか難しい部分で。
例えば、何かの作品がつまらなかったときに「面白くなかった」というのは、言っていいと思うんです。
それを言えるのが自由な世の中だから。
その批評は許されるべきで。
ただ、ここまで情報が伝わりやすくなった今、それを書くと、そこにかかわっていた人に届く可能性があるんですよね。
書き方に配慮があれば、受け入れられもするのでしょうが、それが直情的だったりすると、その人に対しての批判になってしまうかも知れない。
このジレンマは、私もいつも悩みます。
答えがないので、私の場合は「そこに触れなくなる」という対応を取りがちです(笑)
”出る杭”って、それ自体がいいわけでも悪いわけでもないんですよね。
辞書を紐解いても、「才のある人」と「出過ぎたことをする人」という印象が真逆なことが書いてあって、どちらか定まっていない。
ただ、飛び出ているので、目立つんです。
目立つということは、話題になりやすい。
だから、良くも悪くもいろいろ言われる。
いつもこんな結論ですが、どのルートを通ってもそれが正義なので、正解はありません。
ただ、自らが出る杭を打つ立場になることもあるだろうなと。
何か発言したり、意見を表明したりするときに、このことを少し心の片隅において発信すれば、少しはそういった事態を防げるのかもしれないな、と思いました。
0にはできません、人間だから。
私たちがコンピュータやプログラムの産物だったら0にはできるかもしれませんけど、人間なのでそれは不可能でしょう。
だけれども、それを0に近づけることはできる。
何かを言おうと思ったときに、「あっ」と、これを言ったらよく思わない人がいるな、誰かを攻めてることになっちゃうなという”気づき”はできる。
聖人君子にはならなくていいですけど、それでもいやな気持にはなりたくないですよね、お互いに。
そう思った今日この頃でした。