つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

今こそ「Next Dimension」と「君を通して」を我流に振り返る

昨日開催された、雨宮天さんのベストライブ神奈川公演に参加しました。

本当に終始圧倒されて、格好いい天さんも可愛い天ちゃんも見れて、頑張っている姿を見て「こちらも頑張ろう」と思えた、とてもいいライブでした。

ライブ中にも『夢空BPM速めのアレンジ』や『怒涛の達した青盤ゾーン』、『ハプニングから発生したそらのはるやすみ』など、印象的な場面はいくつかありました。
その中でも今回は、ライブ本編の最後に歌われた、「Next Dimension」と、アンコールの1曲めに歌われた「君を通して」について触れたいと思っています。

ここからは私の考察になりますので、『あくまでも私見です』ということでお汲みください。

 

今回のライブって、ベストアルバムを引っさげた、ベストライブなんです。
しかし、Next Dimensionは3rdアルバム「Paint it,BLUE」に収録されている曲。
君を通しては「彼女、お借りします」の挿入歌で、デジタルシングルとして発売されている曲。
いずれも、ベストアルバムには収録されていないんです。
ただ、この曲はいずれも評価が高く、ファンの間では人気の曲でした。

その曲がなぜ、"ベスト"ライブで歌われたのか。
それは、この2曲が”雨宮天と青き民”の今の関係性を表している曲だからではないか、とそう感じました。

 

実は、天ちゃんがファンとの関係性を歌ったと思しき曲は、結構多いです。
今回歌われた「Song for」、そしてみんな大好き「チョ・イ・ス」、近い曲調の「RAINBOW」を挙げる人もいるかもしれません。
最近では、PARADOXのカップリングだった「一番星」や、しっかりしんがりよろしくの「BLUE BLUES」などもそうで、多すぎるくらい多いんです。

そこで、ここからはより、独自解釈になるんですけど。
天さんって、ファンが自分のことを恋愛対象としてみたり、アイドルのように扱われることは、あまり得手ではないんだろうな、と思います。
過去にそんな話をされたこともあるらしく、私は当時を知らないのでなんとも言えないんですけど、「天さんと付き合いたい!」という所謂ガチ恋とか、”何でもかんでも肯定する”というものは、たぶん彼女の性格からして得意ではないんだろうなと思っていて。
演者とファンをきっちり分けている方だと思っていたんですよね。
それは今でもそうだと思う。

ただちょうど、PARADOXを発表したあたりから、ファン思いの部分をかなり覗かせてきている感じがして。
私がファンになった頃と重なるので、個人的な体感かもしれないんですけど、その近さを勘違いしかねない感じの側面もある種あったのかな、とも思っていて。
個人的には最近、その距離感が図りづらくなっていました。

 

そこで、今回印象的に起用されたこの2曲の歌詞を追ってみようと思いました。

「Next Dimension」

本当は詞を全部読んでほしいんですけど、印象的なところを抜き出してみます。

君には君になれ
君の夢は君以外見られない
君のそばで逢おう
それぞれが主役
大事なもの 多くないから
片手はほら、いつも空けておくから
大丈夫 崖から落ちそうな時は差し出せる
君に僕の片手<て>を
無邪気な期待抱くには
人生、現実は残酷みたいだ
僕は僕になる。
僕の夢は僕以外見られない
誰にも任せられない
誇り高く理想を生きて
真実<ほんとう>の自分になって逢おう

君を「青き民(ファン)」、僕を「雨宮天」としてみると、やや残酷だけどストンと落ちる部分があるんですよね。

”君”の夢は”僕”には見られないし、”僕”の夢は”君”には任せられない。
君と僕が同じ存在にはなれないことを歌っている。
それを”無邪気な期待”として、それが叶わないのを残酷と言っている。

一つにはなれないけれども、ピンチの時は片手で救ってくれると言ってくれている。
なぜ片手か。
崖から両手を出したら、”僕”まで道連れになってしまうから、それはしない。
片手だけ。
でも、片手を貸してくれるんです。

"僕"にも、直接救いたいという思いがある。
でも、それは絶対にできないから。
だから”そばで逢おう”という言葉が出てくる。
この「そばで」というのは、例えばいつも曲を聞いたり、アニメ作品に触れたりとか、そこにいるのは本人ではないのだけれど、それで救われることがある。
それを示唆しているのかな、と感じました。

僕は僕の道で活躍して、君は君の道で活躍して。
誇り高く研鑽を積んで、もしお互いが成功したなら。
そのとき対等の姿で逢おう。

そういう歌だと、私は思っています。

 

そして、「君を通して」

君が私を通して
前を向けたらいいな
そう思って過ごしていた
借り物の私だけど
前に進めたらいいなって
なんて二人だから
もう少し少しだけいてあげる

この曲は、元々が「彼女、お借りします」という作品によって作られた曲で、作中の”レンタル彼女”としての千鶴の心情にも寄り添った曲なんです。
が、キャラ名義ではなく雨宮天名義であることが、発表当初から話題になっていて。
この曲も、"私"と"君"を、"雨宮天その人"と"青き民一人ひとり"と置き換えることができるなあと思っていました。

なぜ”借り物”なのか。
天ちゃんは、よく「私なんか大したことない」ということを言います。
実際はそんなことなくて、御存知のとおり才能もあるし努力もすごいし、タレントに満ち溢れているし、強いし可愛いし格好いいわけですが、ご本人にとっては「それは私の本当の姿じゃない」という思いがあるというのも、これまでに話されてきました。
実際、天ちゃんは見えない部分で弱くて、繊細で、
「スタッフさんのおかげ」
「ここまで応援してきてくれたファンのおかげ」
と、自分以外の人のおかげもあって今の自分が成り立っている、と考えているんだと思います。

実際、声優さんもそうですが芸能活動というのはそういったもので。
一人の舞台に立つ人の後ろには、何十人、何百人といった関わっているスタッフさんがいるわけで。
それは、本人の力ももちろんあるけれども、いろいろな人のパワーが集まった状態で、”雨宮天”という輝かしい存在が出来上がっているという側面が、あるんだと思うんです。
だから、それを”借り物”というふうに捉えていても、不思議ではないのかな、と、これまでのことを考えると、感じました。

私たちファンは、天さんのプライベートを知ることは出来ません。
近くに行くことも出来ません。
メイキング映像以上の彼女を知ることは出来ない。
なのだけれども、彼女に力をもらっていて、元気をもらっていて、前に進めている。
それって、雨宮天という存在その人”を通して、前を向けているんじゃないか。
そう思うのです。

 

これまでは、個人的な解釈でしかなかったんですけど。
こんな大事なベストライブで、かなり重みのあるセットリストの部分でこの2曲が歌われた、ということは、少しは当たらずとも遠からずな部分があるのかな、と感じました。

 

あんまりこういう話をするもんじゃないのかもしれませんが。
2020年の”The Clearest SKY”のとき、天さんは「このライブを区切りにして、音楽活動はもういいかなと思ったときもあった」というニュアンスの話をMCでしていたような記憶があります。
これもはっきり覚えてなくて恐縮ですけど、3rdアルバムや”Paint it ,SKY”のときもそんな話を聞いたような気もする。
今回は、本人からその発信はなかったものの、出てくるのがベスト盤という”集大成”なものですから、いろいろ考えてしまうところはありました。
ただ。
今回のセットリストを見て。
"まだまだ挑み続けていってくれそうだな"
”もう少しだけ、いてくれそうだな”
そう感じました。

 

 

この考察は個人的な考察で、ブログに書くほど一般性も正直ないし、”変な勘ぐりするな”みたいなテキストではあるんですけれども。
今回のベストライブに行けて本当によかったなと思いますし、関係性の部分を個人的に再定義できるきっかけにもなりました。

これからも、マイペースで、天ちゃんの活動をチェックしていきたいですし、できることは自分のできる範囲内でやっていきたいなと思いました。