つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

「Ado」と「シテ」

Adoさんの記事を読みました。

news.yahoo.co.jp

名前は聞くものの、あまりよく知らなくて、「うっせぇわ」とか、松岡美里さんがカラオケイベで歌った「ギラギラ」を後から知ったくらいの認識度でした。

www.youtube.com

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あれだけパワーが強いのに、本人は「歌い手は脇役」と考えているようです。
Adoという名前も、狂言の役柄「アド」と「シテ」から取ったそうで。
アドは狂言で『脇役』を指すそうです。

ちなみに、シテは『主人公』。

 

歌手といえば、今まさにステージの中心にいる”シテ”、まさに「主人公」です。
しかし、Adoさんは『歌い手』というところから出発していて。
歌い手さんも主人公になりますけど、コンテンツとしてみると、歌を強調する”動画”と考えると、たしかに演者の一人で、構成される要素のひとつなんですよね。
歌があって、映像があって、演出があって、その中の一つのピース。

 

これは、今よく言われる「声優は表に出る人か裏方か」にも近い考え方だなあと思いました。
表に出る人は"主人公"と受け取られる。
ただ、作品の中に入ってしまうと、それは完全に裏方であり、職人になる。

本人も、そしてそれを見る側も。
その人がどちらにいて、どちらを指向しているかが大事だなと思ったりします。

 

これは、何も芸能の世界だけではないですよね。
一億総電脳世界。
誰もがネットで名前を出して何かする時代になっています。
役所だって、「BUZZ MAFF(農林水産省)」みたいな感じで、究極の裏方である行政でもそんな状態なんです。
会社に努めていて、いつ広報方としての役割を任ぜられるかなんてわかりません。

 

働くこと以外でもそう。
SNSでの趣味発信も同じで。
裏方や、ただの観測者だった人が、いつの間にか日向に立つ人になる。
表方になる。
そんなことは、既に起こっています。


ある意味、今一番勢いがある『シテ(主人公)』の一人と言ってもいいAdoさん。
その人が、そんな事を考えていたというのは意外でしたし、なるほどと考えさせられました。