つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

おたよりと相性

おたよりの話は何度か書いてきていますが、「やっぱり相性ってあるなあ」と思うことが多い今日この頃です。

緻密に考えて書いたネタより、構成とかボロボロだけどどストレートに書いたメールが読まれたり。
毎回送っているところよりも、たまに思いついてふと書いたメールが採用されたり。
ありがたいことに定期的に採用されているコンテンツでも、ネタコーナーは一向に読まれる気配がなく、ふつおたのみ採用されたり。
ふつおた大好き人間なので、最後のはそれでいいんですけども。

"最低限気をつけるべきところはある”のは間違いないのですが、多分後は相性なんだなとも思います。
好きな相手だから、好きな作品だからといって「採用されよう」というところ力点をおいてしまうと、熱量のバランスを崩してしまう。
番組によって毛色も違うし、「あ、この番組は読んでもらえそうだな」と思うのもあれば、そもそもメールが1回に1通読まれるか読まれないかという番組や、もう常連さんがしっかり根付いていて最低限のハードルが高くなっている番組もあったりもします。

幸いなことに、私が最近よく送っている番組は、わりと新規さんを手厚く取り上げてくれるところもあって、私も実際新規の「初メールです!」から入って(※私の得意なやつです)、僭越ながら常連に定着したりしました。

 

で、思うのが、私がよくファン活動の中でもいうことなんですが、
「番組へのメールやおたよりも対話」なんだなあ、と。

番組って、必ず何かの目的を持って放送されているんですよね。
その目的を満たすために、達成するために、方向性は必ずあるもので。
そのメールを今回採用するメリットは何か。
パーソナリティのどんな話題が引き出せそうか。
それを聞いている人はどんな印象を受けるか。
その辺まで考えて、お便りって選ばれているんだと思います。

だから、自分が言いたいことだけを送っても採用ってされなくて。
その番組に必要だったり、合うなってお便りが選ばれるんだと思います。

そこに、文才とか、卓越した話題センスみたいなものは実は必要なくて。
本当は、ありふれていたり、ごく普通の内容なんだけど、『想いがどストレートで重い』ものが、結局は人の心を動かすんじゃないか、と思ったりします。
文章が多少変でも、作家さんが直してくれますしね。

体裁は整えられるけど、そこに乗っかった思いは、誰も足し引きできないんです。

 

 

こんな綴りもそこまで意味がないというか、自分よがりの考察でしかないですけどね。
考えるより前に、一つでもメールを送っておこうと思います。