つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

コロナ流行下でイベントをするということ

『コロナの流行下でもできればイベントはやってほしいよね、でもムズカシイところはあるよね』という話なので、「人が集まるのはけしからん、自重すべき」とかのベクトルじゃ全然ないので、その前提でおねがいします。



先日参加したイベントが、まさにコロナの影響を受けてしまったイベントでした。
コンテンツ待望のイベントだったことや、なんとかカバーし合えば成立するだろうという判断もあって開催されたのだと思っています。
ただ、コンテンツは得てして『全員が揃ってしっかり収まる』形で構成されているもので。
その人が揃っていたら低音が効いていたなとか、ここでツッコミとか冷静な回しがあったんだろうなとかは思ってしまっていて。
舞台の上に乗るキャストの人も、スタッフとしてイベントを回す立場の人も、試行錯誤しながら進めているのが感じられました。

出席できなかった人に対しては壇上と客席の双方から再三気に掛けられるなどあたたかなムードが顕現されていましたし、フルメンバーではない状態をなんとか乗り切ろうとする姿はある種のエモさというか努力の熱量を感じられました。
それはそれでよかったのですが、やっぱり全員が揃ってこそ、最高のパフォーマンスになるわけで、その状況を「ものすごく良かった」と言ってしまうとそこに出れなかった人に失礼な気もして。
『感想をどう言っていいかわからない』というのが正直なところでした。
「大変なところをみんなで補いあってよかった」というのが当たり障りのない感想で、誰かが見る可能性もあるので私もそんなオブラートに包んだ感想を書いた気がします。

 

 

「そういう状況下なんだよな」ということに、改めて気付かされました。
流石に、もう自粛、自粛という形ではないのだけれども。
舞台に上がる人たちは、自分を欠いてしまったときの影響を考えているから、今でもかなり気をつけていて。
それでも、もちろん防ぎきれないから、出れないこともあって。
いくら自分が気をつけていても、周りにいる仕事関係の方のほうでそういったケースが出てしまったりすることもあって。

コロナは誰も悪くない、誰にも責任はないという認識が今ではかなり広がってきて、個人を責める流れってのは、以前に比べるとそれでも弱まっているとは思うんです。
ただ、”イベント開催”って、たぶんそれを取り仕切る人が、コロナに対しての予見をして、万が一こうなった場合はこう、という判断をしていかなきゃいけなくなるんですね。
コロナに責任はないけど、”イベントをどうするか判断する責任”は運営の人が取らなきゃいけなくて。

これまでも、イベント開催においては、事故のリスクだとか、チケットなどのトラブル、観客同士や会場周辺とのトラブル、台風や気象条件など、いくつかのリスクがあったとは思うのですが、今ではそれに加えて、目に見えなくてとっても厄介なコロナのリスクも考えなきゃいけない。
しかも、自分たちには落ち度がないのに、”コロナが理由で万一当日に大きなライブが中止になってしまった”みたいなケースは、どうしても批判が集まってしまったりする。
運営側の人も、なかなか大変だなと思います。

 

今ではイベントの数もだいぶ戻ってきて、声が出せなかったり、飛べなかったりはするけど、それ以外は前に近い状況でイベントが行えているように私たちは感じてしまっています。
でも、それって、運営側の人が色々工夫をしたり対策をしたりして、直前の直前までどうなるかをドキドキしながら、半ば祈りながら頑張っているからこそ、用意してもらえるんだろうなとも思います。
前とほぼ同じではない現状があることは、忘れずにいたいな、と思いました。

そして、私自身も、コロナが原因でイベントに参加できません!には絶対になりたくないので、出来ることはしっかりやっておきたいな、と改めて思いました。