つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

いもしない最強のオタク

先日、色々なオタク仲間のみなさんの考え方を聞く機会があって。
多方面に目覚ましい活動をしている人も多く、「すごいなあ」と圧倒されることも多々あったのですが。
その中に気づきもあったので、ちょっと書いてみます。

 

一般に「すごい」と感じることをやっている人って、やっぱり話を聞いてみるとすごいんですよ。
そのものやことに対しては極めて真摯で、しかも高位なところまで妥協をしない。
その努力に裏打ちをされたからこそあのクオリティが出せるんだなあと、納得しつつ。

で、そういう人って、どんなことにもフルパワーでやっていて、全部が全部をカバーする、そんな”超人”に近い存在だと思っていたんですよね。

ただ、そうではないことがだんだんと分かってきて。
全部が全部、フルパワーを投入しているわけではなかったんです。
網羅してそうでも「あ、私そこは追ってません」とか。
資金を無尽蔵に注ぎ込んでいそうでも、その実しっかりと考えてお財布の紐を握っていたりとか。

強い部分を活かしながら、絶妙なバランスの上に立っていた。

 

『強いオタク』というのが存在するような気がしていました。
よく言うTO、トップオタクみたいな。
「この人のファンと言えば彼」みたいな。

確かに、存在はするんです。
でも、その人って、応援している人の全てに対してフルパワー出しているかというと、多分違う。
それをやってたら、キリがないんです。

 

私事になりますが、表立った活動としては週一回のラジオのみの方のファンで。
極端な話、時間で見れば、週に1時間なんです。
その人の存在を能動的に感じていられる時間って。

それって、ものすごくライトで楽なことと思われるかもなんですけど。
それでも、余裕や"あそび"ってないんですよ。
週に一度の一時間のラジオだって、全力で向き合おうとしたら時間が足りないんです。
本当に時間が足りない。

それを考えると、活動の幅がさらに広い人って、その比じゃないはずで。
多分、網羅って物理的にできないんです。
個別各個のことだって、突き詰めれば時間が足りなくなるから。

 

強いオタクがいると、その強い部分を見てしまいます。
それは”人の良い部分”を見ていることになるので、それ自体が悪い見方ではないんだと思いますが。
様々な分野で”強いオタク”と言われる人々の情報を集約して、それをあたかも一人の人間がやっているかのように錯覚してしまったことで、どの分野にも強い、どうやっても太刀打ち出来ないような最強のオタクを勝手に自分の中に作り上げてしまっていたのかなあと、私は思いました。
そんな仮想敵を作り上げてしまうと、どうしても太刀打ち出来ないんです。
それは幻だから、勝てない。

でも、現実はそうじゃなくて。
どんな人でも、ちゃんと自分の強い部分があって、やりたいことがあって。
逆に弱い部分もあって、苦手なこともあって。
それを自分の中でバランスさせながら、「その人を応援したい」「その人に触れることで元気をもらって、それを少しでも返したい」という方向性の思いを柱に、できることをやっているんだなあと。
色々な方のお話を聞く中で、そんなことを思いました。

 

苦労して辿り着くような結論ではない、ごく普通のことなのかもしれないんですけどね。
このようなご時世ではありますが、会って話すことの大事さを感じた今日この頃でした。