「デスティネーション」という言葉があります。
日本では主に旅行・観光で使われる用語で、「行き先」や「目的地」という意味があります。
この文の中では、「何かに向かう方向性、ベクトル」というニュアンスで使っています。
誰かを応援しているとき。
個人でなくても、何かの作品やプロジェクトでもいいでしょう。
「好きだから何でも賛同する」という応援のスタンスも、一つあると思います。
反面、どれだけ好きなものであっても、自分の中の基準で図りながら、良し悪しを考えながら応援するというスタンスもあると思います。
どんなに手放しで応援していたとしても、理由なく応援はしません。
きっと、自分の中に何かしらの基準はあるはずで。
例えば、王道に進んでほしかった人が、セクシー路線で人気が出てしまったとき。
素直には応援できなくなってしまうかもしれません。
全面的に賛同する人も、内心そこに違和感があったりする。
そういうことって、あったりするんですよね。
人はそれぞれ、デスティネーションを持っている。
それは生まれてこの方ずっと積み重ねてきたものかもしれないし、生きていく中で新たに見つけたものかもしれない。
デスティネーションを定めて突き進んでいく人が、自分と全く同じ考えだったり、自分と全く同じ趣味趣向だなんてことは、ありえません。
それでも応援できるのは、自分と同一視せずに、”寄り添えている”からだと思うんですよね。
全部賛成しなくても、全部同一視できなくても。
その考え方を組んで、それが自分に馴染むのであるなら。
『フォロー』していく。
ここでいうフォローとは、後を追うこと、補い助けること、支援すること。
「デスティネーション」の語源は、デスティニー、つまり”運命”です。
行く先は、人それぞれです。
それは、誰でも。
応援する側も、される側でも、誰でもです。
みんながみんな、運命を持って前に進んでいく。
その運命は時にはぶつかり合うから、本当はともに進んだり、寄り添うことはあまりないはずで。
でも、誰かを応援することって、共に進んだり、寄り添ったりすることなんですよね。
それってとっても、素敵なことだと思うの。
その行く先と、寄り添いと。
ながらく寄り添っていく運命だったら、嬉しいなと。