つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

自分の気持ちを大切に

ファンとして誰かを応援することって、楽しいけれども、その応援の仕方に悩むこともありますよね。

 

その人がやることに対して肯定的な感想しか言わないというスタンス。
逆にちょっかいを出し続けて気を引こうというスタイル。
接触れることはせず、売り上げなどの実績に関する部分だけ、静かに応援する方法。
もしかすると、この広い世の中には、「あえて自らが火種になることで、応援しているその人の評価を相対的に上げよう」という"炎上的応援"というものも、あるのかもしれません(事例は知りません)。

応援の仕方は、千差万別です。

 

その中で、私が大事にしている、大事にしてほしいなと言う部分は、まさにタイトルに書いた『自分の気持ちを大切にしてほしい』というところです。
特にこれは、「応援している人にマイナスの情報を入れてはいけない」と考えている人が、逆にないがしろにしてしまいかねない部分で。

この部分は勘違いしやすいのですが、別に『その人の行動を良い悪いで判断して一刀両断しろ』という話ではないんです。
それは批評家のやることです。
そもそも、誰かを応援している以上、その人に対してマイナスのことは言いたくないという思いがあると思っていて、もちろんそれが基本でいいと思うのです。

ただ、そこで自分が嫌だなあと思ったり、思っていたのと違うようなことがあったとき。
それでも「味方にならなきゃ・・・」と思って、自分の心を捻じ曲げてまで肯定してしまうのって、なんだか違うような気がして。
その場は何もなくても、そこで歯車が狂いだして、あまりいい結末には至らないような、そんな気がするんです。

そうでないものまでみんなで取り繕って、それを受けてその人が進んだ先が、誰も望んでいなかった世界だった。
もしそうだとしたら、少し悲しい。

 

役者さんは、一つペルソナを被っている、と言われます。
『テレビではあんなに傍若無人だけど、裏では礼儀正しいんだよ』みたいなことが言われるくらい、オンとオフのスイッチがあると言われています。

よく考えてみれば、私達だってそうですよね。
おゆうぎかいや学芸会でステージに立った時、どうだったか。
私は頭が真っ白になって覚えていないことが多いですが、いつもよりハイテンションになってステージを暴れまわっているタイプ、だったようです。
表舞台に立たない人ですら、こうなんです。

私たちの目の前で、ステージに立っているときは、たぶんオン。
オフだよと言いながらも、最低限のオンにはしている。
それが、応援される側の、ある種の宿命なのだとも思います。

オンの時と、オフの時の本音が違っていることも、あるかもしれません。
「〇〇が好き」と表ではいうけれど、実際は苦手だったりとか。
決して計り知れないけれども、そういったことも、あり得る。

万が一、その「オフ」が明らかになって、それがオンとはかけ離れていた時。
普通だってつらいのに、自分の心を抑えていた人は、もっとつらいと思う。

 

 

表舞台に立つ人は、成長して変わっていくのも早いと言われます。
いつまでも、私たちのイメージの中の相手のままではないかもしれません。

時間を経るにつれて、みんな変わっていきます。
それは、応援される側もそうですが、応援する私たちも。
私たちがプログラミングされたコンピュータとかであれば話は別ですが、華々しくはないかもしれないけれども、私たちも誰かを応援しながら、何らかの形で成長したり、変わっていったりするんです。
少なくとも、何か変わろうとしてみたことはあるんじゃないでしょうか。
そんな元気を、誰かから、もらってきませんでしたか?

 

応援する側も、される側も、常に変わり続けているんです。
変わり続ける私たちが、今この時間に出会っているということはある種の奇跡ですし、一定の間ずっと同じ接点で接していられるというのも、これまた奇跡だと思います。

 

だから、前にブログで書いたこともあるのですが、「対話」することが大事だなあと思います。
思いのキャッチボールですね。

人と人は、変わり続ける。
だから、ずっと「あの人はこうなんだよ」ではいられない。
生きていく中で、考え方も少しずつ変わっていくだろうし、好きなものも、味の好みも、どんどん変わっていく。
少し離れてしまうと、何かが大幅に変わっていて、おそらく元の水には戻れない。

だから、キャッチボールを続けることが大事なんです。
関わり続ける。
思いを受け止め続ける。
そして、キャッチボールは、こちらがボールを投げなければ続かない。
だから、自分の感想を、伝えればいい。
もちろん、強すぎるマイナスの言葉を投げるのは、気を付けたほうがいいです。
ただ、相手が、ステージに立つ人が、表現する人が待っているのは。
その表現に対する、素直な反響や感想なんじゃないか。
そして、そのやり取りの中から、少しずつ素の部分、本音が見えるようになってきて。最終的に、よりよい、ちょうどいい関係性が築けていくんじゃないか。
私は、そう思っています。

 

大きくそれたボールを、どこまで追うかは、人それぞれです。
ただ、私はできる限り、それを続けていきたいな、と思いました。