つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

リアタイ

『リアタイ』って、記憶に残るんですよね。
この言い方が世に出たときは「リアル対戦か?」みたいに思って、対バン(対するバンド)の類似のワードとして捉えていたのですが、実際は「リアルタイム」という意味で。
ライブで経験していますよ、という意味の他に、”その作品が発表された当時に、その時の世間の雰囲気も含めて肌で感じている”といったニュアンスまで織り込まれた、なかなか意味の深い言葉だと思います。

 

で、”リアタイしてる”って、記憶や思い出の面でも、めちゃくちゃ強いんですよね。
もちろん、様々な作品はリア対しなくてもその魅力はあるし、今なら出来事も後から振り返ることができるのですけれども。
その当時に、その時の雰囲気も経験できたということは、強くて。

 

これは、逆の出来事が最近ちょうどあったので書きますが。
今年のアニサマ1日目では、実質的に活動が止まっているユニット、「StylipS」が一夜限りの再結成をしたり、雨宮天さんが2014年頃に大きく花開く要素の一つとなったスキマスイッチのカバーの「奏」を歌ったりというサプライズがあったそうなんですけれども。

StylipSの件は、当時を知っている人にはめちゃくちゃ刺さっているんですけれども、それをあまり知らない者にとってはその熱量を感じることはなかったり。
天ちゃんの「奏」にしても、当時のエピソードを跡から振り返って、とても大事な経験だったことを知って、またオンラインライブでもその弾き語りをやったり、大切さはわかっているつもりですが、参加していないところで歌われたことについては、そこまでのショックがなかったというか。
たぶん、それって当時をリアタイしていなかったからだと思うんですよね。

 

また、このリアタイは、いろいろなものが”再上映”できることによる別の形のリアタイもあって。
私はミリオンを後から追っかけた部類で、現地に行けたのは8thライブが初めて。
それまでは配信だったり、ライブビューイングでしか見ていないんです。
ただ、その中でも1stから5thまでは、2020年のコロナ流行期に、ニコニコ生放送で実況がある形で再配信されたのを見たんですよ。
それは追体験ではありながら”リアルタイム”で。
その時の印象がめちゃくちゃ残っていて、まるで当時も現地にいたかのような感覚になったんです。

このあたりの感覚は、今だからこそなのかもしれませんが、不思議ですね。

 

 

何でもかんでも現地がいいとは言い切れないし、それを周りに言い過ぎて雰囲気がマイナスに向かってしまうのも、どうかなあとは思うところもありますが。
大きく影響を受ける可能性はある、そういうものだなあとしみじみと思った今日この頃でした。