つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

ファン活動の心積もり

”心積もり”ってえらそうなタイトルに打って出ましたねって感じなんですけど、インパクトがないとそもそも読まれないかなと思いまして。
個人的に日頃から思っている考え方を3つほど、書いてみようかなと思います。

 

これは、昨日少しTwitterの方でも書いた話なんですけども。
私の場合は、祝い花を贈ったりする活動が中心になっていて。
その延長線上で、「主催の人はすごい」と言っていただけることが、大変ありがたいことにあったりします。
確かに、事務的なところではやることは色々あって、そのねぎらいを頂けるのは大変ありがたいことでもあり、恐縮です、と思っています。

ただ、何かあった時に責任を取ったりする以外は、その企画に参加している人って、みんな等しく同じ立場だと思うんですよね。
だから、主催者がえらいとか、あの人は強いオタクだとか、そうではなくて。
企画に参加してくださること自体がすごいことだし、そこに優劣とか上下みたいな貴賤はないんですよ、と。
少なくとも私はそういう考え方でいます。
同じように考えている主催者さんも、たくさんいると思います。

他の方のファン企画に参加するときも、その考えをベースにさせてもらって参加しています。
たまに、少し違和感を覚える企画があるときって、その前提が何か崩れている、そんなケースが多いですね。

 

ふたつめ、これはひとつめとは真逆の話でもあり、丁寧に書かないと誤解も生みそうなのすけれど。
「ファン活動やファン企画は”誰もが皆”に受け入れられているものではない」ということです。

ファン企画をやっていると、自分がファン全体の希望を背負ってなにかやっているような、そんな使命感に囚われることもあり、ややもすると”自分がファンの代表”のような勘違いをしてしまいそうになることもあるんです。
ただ、これもファン企画をやっている方と話したことがあるんですけど、
「企画があっても、参加しているのはイベントに参加している人のうち1%とか0.1%だけ。
自分たちはある意味少数派で、その活動が内心受け入れられていない可能性は十分にあるし、自分たちの考えを全体に押し付けてはいけない」
という話になって、まさにそのとおりだなと思ったことがあって。
活動をする中でも、勘違いしないように常に気をつけていかなければならないな、とは思っているところです。

 

あとは、とても当たり前のこと。
ファン企画はその相手のことを第一に考えてやるものだということ。
当然だし、当たり前のことです。
そんなん歪むわけじゃないじゃん、と思ったりします。
でも、人と人とが関わって、色々な主体が関わる中で、歪んでいく可能性がいたるところに隠れているのも当たり前の現実だったりするんです。

いろいろ、悩んだりする中で、そこから抜け出せなくなりそうなときは。
「この企画は相手のため」
というところに立ち返るのが、一番いい正解に繋がります。

 

 

というわけで、ちょうど最近振り返ったところだったので、個人的に思ったことを3つほど書いてみました。
もちろん三箇条というわけでもありませんし、気をつけるところは無限にあります。
ただ、こういう考え方をしているのでこういう活動傾向です、という感じのめやすにはなるのかなと。

みんなが納得行く活動はできないけれども、やるなら建設的なものにしたいですよね。
ということで。