つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

“好き”という気持ちを前向きに変えていく

「好き」という動機が持つエネルギーって、すごいですよね。

数年間片付かなかった場所が片付いたりする。
世界が違うなあ、私がそこに行くことはないだろうなあと思っていたイベントにいつの間にか参加していたりする。

聖地巡礼とかも最たるもので。
そういったきっかけがなければきっと一生行くことがなかった場所もたくさんあって。
私の場合は、沢山の作品に出会ったことで、生き方のスタイルや、それこそ就く職種まで決まったようなところがあります。

ファンとしての行動もそうですよね。
お花の「は」の字も知らなかった人が、いきなりお花を贈り始める。
目立つことが得意でなかったり、行動に移すことが苦手だった人が、「好き」という思い一つで、メールを送るようになる、リプライを送るようになる、お手紙を送るようになる。

「こういう現場には絶対来ないと思っていた」

かつて、ネットでの約十年間を、”ネット上の空論”を振りかざし続けた私が、ひょんな事でイベントに足を踏み入れたときに実際に掛けられた言葉です。
そんな印象を持つ人ですら考えを変えてしまうというのが、「好き」という感情の魔力です。


「好き」という気持ちは、いい方向に向かえばとても望ましい結果に結びつきます。
しかし、このエネルギーはあまりにも大きすぎるので、あらぬ方に向いたり、後ろ向きだったり、時には下向きになったりすることもままあって。
えてして、それはあまり良くない結果になったり、もったいないことになっていたりします。

そういった思いは、できるだけ、前向きに持っていきたいですよね、というところで。

 

 

 

最近、誰かを好きになったり、そうでなくなったりすることを茶化すような流れを見ることがありました。
これは、自分のことは棚上げにして書きますけれども。

学生くらいのときに、「お前、〇〇ちゃんのことが好きなのかよー」みたいな茶化し合いってあったじゃないですか。
それに近いやり取りに見えてしまって、あまりいい気持ちがしなかったんですよね。

いろいろな関係性があるし、現代人は争いを避けるという点でえらいので、あんまり表面化はされていないのですけれども。
それを言われた当人もイヤに感じているかもしれないし、見ている周りもイヤかもしれない。
そして、好きになった、好きになられた対象の当人はどう感じるのか?
そのあたりまで考えたときに、やっぱりいやだなあと、思ってしまったんですよね。

ある意味ではその場の楽しさを追い求めたのかもしれないし、私のこの考えに正しさがあるかどうかはわかりませんが。
そこまで考えられるような視野の広さというか、心の余裕は持ちたいなと思いながら。

 

もちろん、人間いつも正しくはいられませんし、清廉潔白なんてとても難しいことです。
難しいんですけれども。
そのエネルギーを、本来はいい方向に向かせることのはずのエネルギーを、明後日の方向に飛ばすのではなく。
ぜひ、前向きに持っていきませんか。