つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

気持ちを”生かしておく”こと

本当のタイトルは、『気持ちを こ ろ さないこと』だったのですが、漢字で書くと色々弾かれたりするかもしれないなあと思って、ポジティブな言い回しにしてみました。

先日書いた『本当の音』にも少し繋がるのですが。

 

今の世の中、『ストレス社会』と言われて久しいですよね。
私なんかは、幼い頃からそんな言葉をよく聞いていて、まさにストレス社会でしか育ってきていない世代かもしれないなあと思っていたりもします。

働くことなんかその最たる例で。
きつい職場ならストレスしかないでしょうし、望んで就いた仕事だったとしても、思い描いていた理想と現実のギャップに悩んだりする。
イメージどおりだったとしても、多くの人が関わるわけで、そうすれば少なからずストレスは生まれるものです。
色々な摩擦を避けるために、自分の気持ちを殺しながら、表情をなくして労働に向かっていく、そんな人も多いんじゃないか、と思います。
もし、それでダメージが減るのなら、仕事はそれでいいと思うんです。

 

ただ、最近、趣味とか好きなものの分野でも、「あれ?」と思うことがあったりして。

本当に好きなもののはずなのに、素直に喜べなくなっていたりする。
自分が取っている立ち位置の関係で、少しウッと心にくるものがある。
『これって、自分の感情を殺してないか?』
そんな自問自答をすることが、ままあります。

 

でも、趣味ぐらいは気持ちを殺さずに、好きなように楽しんでいいんだと思うんですよ。
好きなものは好きだと堂々と言ったっていい。
自分の立ち位置なんか気にしなくていい。
いつも対峙している人が褒めたっていい。
少しくらい退かれたっていい。

それを縛るルールなんかないし、自由です。

 

スタンダードが安心するのは、わかります。
そこにいれば変なそしりも受けないし、つまはじきにもされない。
でも、それはややもすると、人の顔色をうかがいながら生きることになる。
本当は心にエネルギーをもたらしてくれるはずの、趣味の領域ですらも。 

なので、もう少し好きは好きと言っていいんじゃないかなと思いました。
具体的に何が、ということじゃなく、全体的な雰囲気の話でした。

  

最後に。
どんな形であっても、心からの『好き』という思いって、誰かに届くものです。
きっと届く。
少なくとも、みんなが思っている以上には、強く届く。

そんな感情を、結実(けつじつ)を、もっと見てみたいなと思いました。