つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

そのがんばりを見てくれる人はきっといる

まだ、私がひよっこだった頃。

やる気はあるけど要領の悪いタイプだった私は、『理解せずに仕事をする』ことができず、工程の一つ一つにつまづいていました。
そんな状態ですから、評価も芳しくなく。

”努力しているのは分かるけど、それが成果に結びついていない。
 早く仕事に慣れて、戦力になってくれ”

そんなことを2年くらい言われ続けていました。

もちろん、仕事はできるようになりたい。
でも、体が、能力が付いていかない。
求めても得られない。 

そんな時に、こんなことを言われたのを、今でも覚えています。

『何もしてないわけじゃなくて、努力はちゃんとしてるじゃない。
そのがんばりを見てくれている人はきっと必ずいるから、焦らず自分のやりかたでやっていけばいいよ』

と。

その努力は無駄にならないから、驕らず、腐らず、そのやる気を持ち続けてがんばれ。
そんなメッセージだったんだろうと思います。

綺麗事かもしれない。
見方によっては、ドン底に突き落とされている人にまだ『頑張れ』と言っているように見えて、よくないのかもしれない。

でも、私みたいな人間って、愚直に前に進むことしか能がないタイプなんですよ。
特に社会に出たてだったこの当時は。
ここで「がんばらなくていい」と言われていたら、かえって仕事を休んで働くことから逃げていたかもしれません。

 

今になって、この言葉の重さをますます感じるようになりました。
私たちが思っているより、私たちは意外とみられているものです。
自分自身も、自分より若手の人の様子をよく見ていたりします。

そのがんばりを見てくれている人って、ちゃんといるんですよ。
きっといる。
その証左というにはおこがましいですけど、私が希望していた分野の職場にいるのも、たぶんよく見てくれていたからこそなんです。

たしかに、人事はヒトゴトなんですけど、どこの人事も悔しいけどよく見てます。
たぶん、よく見ていない会社は現存していないと思います。
それだけ、「ヒト」って大事なんです。
 

無理にならない範囲で、自分のやりかたで努力を積み重ねること。
驕らないこと。
腐らないこと。

努力は報われないことの方が多いと言いますが、ちゃんと血肉になってます。
大丈夫です。
積み重ねてきたものは、ちゃんとそこに存在する。

 

全てのがんばる人にエールを。
そして、努力を見るような立場になったときは、少しでもその努力をくみ取って、少しでも生かす手伝いができるような人になっていたいですね。