つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

失敗や挫折へのやさしさ

色々、ありますねえ。
成功する人や勝つ人がいれば、その対岸には失敗する人や負ける人がいる。
当然の話ですし、それが社会であり、人生なんだろうなと思います。

これは、今に始まったことではありませんが、負けた側や、何かに失敗した人への風当たりが強いなあと感じることがあります。
これは日本の国だけの話なのか、人類が皆そうなのかはわかりませんが。
”勝てば官軍”とはよく言ったもので、勝った側は大手を振って歩ける。
ただ、負けたり何かに失敗した側は、そうはいかない。
人生をとして負けてしまったかのような、本当に人生が終わったと感じてしまうことがあります。

私も、ターニングポイントでは比較的に成功を収めてはいるのかなとは思うものの、基本は失敗と敗北と恥が塗り重ねられてきている人なので、何かにミスをすることがよくないこととされてしまうと、すこし肩身が狭く感じたりもします。

 

最近よく聞く”ワンチャン”という言葉。
一つのチャンスをものにしてのし上がる、というニュアンスで使われているようで。
確かにそれはアメリカンドリームのような一発逆転的な魅力を含んでいる要素なんですが、失敗してしまったら嘲笑われるという、背中に氷を背負ったような感じでもあります。
人生、生きていればいいこともあれば、悪いこともあります。
いい時期もあれば、どうも巡り合わせの悪い時期もある。
それは決して、運気が悪いとか、何かが憑いているとかではなく。
この世界は、とてもたくさんの人がそれぞれ自分の意志で動くわけですから、自分に影響の及ぶ範囲のことがうまくいったり、行かなかったり変動するのはよくあることなわけです。

 

”ものにもよりますが”と言ってしまうと、結局は主観に話みたいになってしまい、説得力がぐっと減るのですけれど。
やっぱり、失敗や挫折への見方が、厳しめな気はするんですよね。
あえて厳しく言わなければならないときもある。
でも、それは本当にその人やもののことを考えているからであって、何も言われなくなった時のほうがよっぽど怖くて。
いうことも優しななんだよという話は聞くと思うのですが、そういう優しさも含めて、失敗ということへの見方が冷たい気がする。

一つのことではなく、最近触れたいくつものことで、そう感じました。

 

 

正直なところ、判断は難しいです。
主観は入る。
超えてはいけないラインを越えて、冷たく見ざるを得ないとかも。
ただ、言い方は気に入らないかもしれないけれども、既にあるルールをしっかり守っているとか、そういうケースもあったりする。
その場合は、頭ごなしに否定をするのではなく、少しやさしい視点でいたいなと思います。

 

人は誰も、失敗したくてしている人なんていないし、挫折したくてしている人もいません。
誰もがみんな、いい結果を手繰り寄せたい。
でもそれは無理な絵空事
だから、すこし失敗や挫折にやさしくなろう、と思いました。