つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

動のコンテンツと静のコンテンツ

コンテンツには、動きがあるものと、そうでない静のものがあると思います。

例えば、ライブは動的なコンテンツ。
反面で、小説やドラマなどの動きがないものは、静的なコンテンツと言えるでしょう。

それでは、音楽が全て動的なコンテンツかというと、単純に聞く音楽は静のコンテンツだと思います。
逆に、静のコンテンツと紹介した小説も、朗読劇のような形を取ればそれは動的なコンテンツになる。
同じジャンルやものでも、味付けの仕方で動と静は行ったり来たりします。

動のコンテンツの強みは、「動きがある」ことです。

ヒトは動きのあるものに注目しがちといいます。
それと同じ理論ではないでしょうが、動きがあるものは、人を引き付けやすい。
そこには、熱狂が生まれてくることもあり。
その熱量が増していくと、大きなムーブメントになる。

それでは、動のコンテンツの弱みはなんでしょうか。
それは、動きが止まったら、一気に魅力が薄れてしまうことです。

動のコンテンツは、自転車操業みたいなものです。
動いているうちは、そこに様々な流れが生まれ、玉石混交ではありますが走り続ける。
ただ、その歩みがとまってしまうと、また安定を求めてしまうと。
ホイールが回らなくなり、熱量が失われていってしまうのです。

よく、熱気を帯びたコンテンツが安定やゆるやかな減退機を迎えると離れていく人がいて、薄情に思われたりしますけれども。
それは享受する側だけでなく、コンテンツ自体にそうさせる要素があったりもするのです。

 

逆に言えば、静のコンテンツは、それがないのが強みです。
動かないから、一気にファンが増えたり、沸騰したりはしないものの、かわらないので長期間の好きが続く。
アナログゲームだったり、もうコンテンツとしての次の展開がないはずの古の作品が、20年も30年も愛され続けたりするのは、その要素があるからかもしれません。

 

動き続けて、その熱狂を膨大なものにするのか。
静かに作品を紡ぎ続けて、地道かつ堅固な評価を積み重ねるのか。
どちらも甲乙はつけられません。
様々な形の、様々なコンテンツが生まれ、多くの人にフィットする時代になりますように。