つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

楽器と憧れとハードルと

私は歌うことが好きでした。
今も好きだし、できればずっと歌って暮らしたいくらいの歌好きだとは思います。
ただ、一つ大きなハードルがあって。
喉が弱いんです。
一曲でも全力で歌ったら、翌日には気管系を中心に不調が出る。
だからその代わりに、音階を出せる楽器をやりたい、という思いがずっとありました。

 

楽器の”憧れさせる力”って、すごいんですよ。
説明する必要もないかもしれませんが、「涼宮ハルヒの憂鬱」のライブシーンなんか最たるもので、あれでバンドに憧れたという人は、多いと思います。

私の場合、なぜベースを選んだかというと、じつは「けいおん!」ではありません。
いえ、確かに澪は好きでしたが、だからといってベースをやろうにはならなかった。
PCゲームの「キラ☆キラ」で、いわゆる「スェンダー」と呼ばれるベースが話題になったのがきっかけの一つ。
ゲーム自体はそこまでやってないんですけど、あのスタイルが格好良かった。

その後に、ライトノベル杉井光の「さよならピアノソナタ」に出会って、それでどっぷり沈みました、ベース沼に。
潜在的な憧れはあるけれども、それこそ「ぼっち・ざ・ろっく!」の下北の雰囲気のようにアンダーグラウンドな印象もある”バンド”というものを、「少年少女の青春もの」と「クラシック」という親しみやすい要素を入れて誘ってきたので、とても入りやすかったんですね。

それで私はエレキベースを買うことになるんです。
吸引力ってすごい。

でも、楽器をやるってハードルがめちゃくちゃ高いんです。
ましてや、教室に通うでもなく、自己流でやろうとすると、なおさら。

今なら、インターネットで「ベースの弾き方」なんて記事や動画は山ほどあります。
そして、その大半が、間違ったことは言っていません。
ただ、初心者がやるには、ハードルが高すぎるんです。
正しいがゆえに、その正しさに打ちのめされる感じ。

最初の頃は、必死に練習しました。
でも、あるレベルからは上達が感じられなくなり、それがだんだん苦痛になってしまい。
ベースに触れる頻度が減っていき、3年くらい経って、ほぼ弾かなくなってしまった。

 

練習方法が間違っていたのか。
レッスンに入ればよかったのか。
熱量が足りなかったのか。

たぶん、どれも違うんです。

それからいくらか経って、たまに、ベースに触るようになりました。
でも、これまでとは違う感じで。

気になった曲の、主旋律をベースで弾くようになったんです。
これって、後から考えてみると、やりたかった「音階を奏でる」「主旋(律)を奏でる」だったんですね。
他にも、音楽関係で気分が高まったときに、特にルールも構わず適当に鳴らすとか。

これって、たぶん効率的な練習ではないはずなんです。
でも、英語で言えば"play"で、子供で言えば”学びのためのまねび=遊び”なんですよね。
一曲、しっかりした曲をやろうとしてもそれはハードルが高い。
たぶん、こういう遊びをやることが、大事だったんです。

 

そして、今。
必死に練習していたときほどの技量に比べたら、たぶんダメダメでしょう。
でも、弾いているときの顔は、たぶん、滅茶苦茶明るい。
そんな感じでベースを弾けるようになりました。

 

かつて、「なかなかベースが上達しないんです」と人に言ったときに、こんな言葉が帰ってきて。
「俺もそうだよ、ギターは好きだけどたまにしか弾かない、でもそれでいいと思う」
と。
ああ、それでいいんだなと、今になって改めてわかった気がしました。

 

ちゃんとしたのをやらなくてもいい。
大事なのは、楽しむことだ。
楽器って、それが大事なのかもしれません。

楽器に限らず、何にでも言えることなのかもしれないですけどね。

 

 

さて、私がなぜ今になって楽器熱、ベース熱が上がっているかというと。
・・・お察しのとおり、ぼざろ、「ぼっち・ざ・ろっく!」です。

単純。
でもそれでいいんです。
楽器の”憧れさせる力”って、すごいでしょう?