つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

ブログに書きたいことは色々あるけれど・・・ゼロとイチの間の話

ブログに書きたいことは色々あるんですけども、「書いても何もならないな」と思うこともありますし、丁寧な説明を尽くしても意図と違う形で取り上げられたりして自分の意図しないほうに行ってしまうこともありけりで。
それこそ「お気持ち」的なことを書くと、全部マイナスの沼に引きずり込まれてしまいそうな感じもあって、『最近書きづらいな!』と思うことが山の如しだったので、そのこと自体をテーマに書くことにしました。

 

私は「ゼロかイチか」という言葉をよく使います。
厄介なことに、「これをやったかやらないかというフラッグ」の意味でも、「あやふや」の意味でも使うので、”いや前はそう言ってなかったじゃん”と思われると申し訳ないのですが、今回は後者のほうですね。

 

 

最近特に感じるのは、「ものごとがゼロかイチかで判断されることが多いな」ってことなんです。

特に意見や考え方って、ゼロかイチかでは判断できないと思うんです。
それはきっと0.000…1から99.99999...9までの間にあるだけであって、”絶対”はなくて。
ルールや法律でこう決まってるじゃん!といっても、そこに絶対がないから、裁判という仕組みがあって、検察や弁護士がいるわけで。

例えばですけど、「UO禁止」とかって、毎回騒ぎになったりします。
あれがまさにルールのあやふやさの一例で。

「あのスタッフはいいって言ってたけどHPのレギュレーションにはこう書いてある」
「そもそもUOといってもA社のを指すから、B社の類似商品はささない」
などなどなどなど・・・
結局、その場ではっきりしたことが決まらず、後までざわざわする。
やや暴論かもしれませんが、法律やルールも似たようなものです。
すぐにコロっと変わったり、解釈が変わったりもする。

だから、「本来はゼロでもイチでもないのに、それの多数の方を選んでないと色々流れ弾も飛んできそうだから、とりあえずそっちの選択肢を取らざるをえない」
そんなことが多い気がします。

 

また、「あるケースであった判断が別のケースにもそのまま適用されがち」というのもあります。
物事は本来、ケースごとに個別具体的に精査すべき部分はあるはずなのですが、それが横並びに、一括りに判断されている気がする。
「あの件ではこうなっていたよ」と言われると、なかなか言いづらくなったりするものです。

 

とは言え、それを書いてもどうなるわけではないので。
もちろん、意見の出し方に細心の注意を払う必要はあるのですが、自分が思ったことは、言っていいと思うんですよね。
物事はゼロかイチかではなくて、その間にも多様な意見があるので。
それはあまり多数ではないかもしれないし、「おめえそんな面倒くさいこというな」はあるかと思うんですが。
やっぱり、自分の思いと逆のことを言ったり賛同するのって、心にダメージが蓄積されるので。

もちろん、それが鋭利な剣になってしまわない方がいい、それはそうなのですが。
言ったことで、ものごとが好転していったり、改善することもあるので。
私は『言う』という選択肢は、大事にしてほしいなあ、と思っています。