つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

推しと好きと応援と担当の違いについて考えてみた

”いい推しの日”ということで、今日はこのことについて書いてみようと思います。
とはいえ、特に言語学の専門家でもなければ、お仕事(マジモンの辛いやつのほう)でくったくたで帰ってきたマンが、後先考えずにしかも夜に書いている文章ですので、その点についてはご容赦いただければ、と思います。


(1)好き

これは一番わかりやすくて、
”自分の中の評価軸で、その対象が好ましいかそうでないかを測ったとき、プラスの評価になること”
です。
好ましければ好き、ちょっと苦手だなあとかいやだなあと思ったら嫌い。
そこに、他の要素が入る余地はなく、あくまでも
”自分の内面”
の話なんですね。

ただ、これもけっこうややこしさはあって。
「嫌いも好きの裏返しなんじゃないか」という考えもあり(ツンデレとか)、

”本当に怖いのは好きでも嫌いでもなく、『関心がなくなること』ではないか

という見方も、別のテキストで書いていたりもします。
こちらも興味がありましたら。

tsurumauy.hatenablog.com

(2)担当

一方、「担当」は、ある領域の中で自分がどの位置(場所)にいるかを端的に表す定義です。
作品やコンテンツの中で、自分が誰を好きかというのを考えて、その立場を周りに示すときに、この『担当』という言葉を使います。
例えば、アイマスでいうところの”〇〇P”というのは、この定義のひとつではないかと思います。

ということは、ここがもし無人島だったら、担当であるということは主張する必要がまったくない
自分の他に人がいるときに、外的な要素がある時に、初めて意味を成してくる。
つまり、
”自分を外から見たときに自分を定義する言葉”
なんですね。

自分が一人でいるときにも成立する好き嫌いの概念とは、逆といいますか、一枚壁を隔てたところにある概念と言えるかと思います。

「ちょっとまって、私はアイドルの中で誰担当と言ってるんだけど」「声優の中では誰担当だぜ」
と思われる方もいるかと思います。
ただ、それはカテゴリの中なんです。
アイドルであったり、声優であったり。
もっと広く見れば、女性、男性、人、生き物・・・
そういったものも、一つのカテゴリ、領域なんですね。

(3)応援

続いて、この「応援」というワードに入ります。
先ほど思い出したのですが、ここには元々「ファンであること」という定義が入っていました。
ただ、これは他の3つの定義を説明する中で、「好き」と「推し」の中間にある言葉で、説明がややこしくなってしまうので、あえてこちらの応援をピックアップすることにしました。

この4つの中で、『応援』という言葉は、異質にも思えるかもしれません。
ある対象に対して、何かを行動に移すことでプラスの感情を届ける、そういった言葉です。
その意味では、”推す”という行為にも非常に近しいものがあります。

ただ、応援って、好きな人だけにするものじゃなかったりします。
色々な状況によって、そんなに好きでない人にもしたりすることがあります。
もしくは、
”まったく人となりを知らない人だけど、その置かれている環境を鑑みて、応援したいと感じる”
ということがあったりします。

そう、応援は
”行動のトリガーが『好きか嫌いか』の軸の上にあるわけではない”
んですね。
応援が一つの、少なくとも人とのかかわりの中にある行為である以上は、外的な要因に左右されるんです。

(4)推し

そして、こちら本日のラスボスです。
色々考えたけど、強かった。

ぶっちゃけると、かつての二次元・オタクの領域で広まった「萌え」と同じくらい定義が広い言葉なので、定義することすら難しくはあるのですが。
今回挙げた「好き」「担当」「応援」というワードとの関係性から見ていきます。

まず、「推し」と「担当」というのは、ちょっと近そうですよね。
この観点では、”〇〇推し”というのも、一つの自分のアイデンティティになりえます。
つまり、外的な要因で見たとき、「推し」と「担当」は≒で結べそうです。

そして、「推し」という言葉は、元をたどると

  • 推薦する、(その人の魅力を宣伝する)
  • (人気を)(トップまで)押し上げる

といったニュアンスが込められていますから、これは「応援」とも近そうです。

ただ、ここで一つ、「応援」と違うところがあります。
嫌いな人や、何の関心もない人、知らない人を「推し」と呼んだり、推すことはないですよね。
なので、推しが”好きでない人”であるケースはないわけで。
推すことは
”好きという要素を持った状態での応援”
と言い換えることもできそうです。

 


ということで、ここまで言葉をこねくり回してきたのを、形だけまとめてみます。
「推し(推す)」「好き」「応援」「担当」の4つを見たとき、応援と担当は、推しとニアイコールで結べそうだというのはわかりました。
そこで、最後は「推し」と「好き」の違いについて整理してみます。


好き=自分の中の評価軸で、その対象が好ましいかそうでないかを測ったとき、プラスの評価になること

推し=”好き”という状態であるうえで応援したい対象


・・・うん、なんとももにょっとする結論ですね。
『この二つは別物だ』と言いたかったのに、推しという定義の判断要素に「好き」が入ってしまうという結末に。
言葉で示すとこうですが、自分の肌感覚ですと、推しの文章の中でも下線を引いた後半部分、つまり応援の要素がより色濃いのが”推し”なんじゃないかという感じがしています。
(感覚に頼ってしまったため、ここまでの説明が台無し)

 


推しって、便利な言葉なんですよ。
序盤に触れた、二次元における「萌え」と同じように。

これは他の言葉にないマジックワードだと思うんですが、例えば

  • 自分が好きな相手
  • ファンである相手

を示すときに、ひとことで『推し』という単語がそのまま当てはめられるんです。
捉えられ方にもよりますが、担当という言葉よりもより前向きで明るい印象さえ持たれる感もあります。
推しという言葉がここまで汎用性を持ったのは、こういった使いやすさもあったのかもしれません。
”推し”、恐ろしい子・・・!

 

このように、マジックワードである『推し』。
ただ、それをなんだか流されて使っているのにも、少し怖さがあって。
これまで、あんまり多用しないようにしてきました。

ただ、今日のこの機会にいろいろ考えてみて。
そんなに怖い単語でもないし(あたりまえですが)、ちゃんと構造を考えながら使えば変な誤解も招かないということがわかりました。

 

いい機会でした、”推しの日”。
たまには、言葉をこねくり回してみるのも、いいものですね。